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雨の日、県美術館からギャラリー「いまじん」へ

数日前の雨の日、来客も少なそうなので久しぶりに岐阜市内まで出た。

せっかくの自由な時間なので県美術館と尊敬する土屋先生の個展を開催しているギャラリー「いまじん」を訪ねた。

 

美術館では清流の国芸術祭が開催中で「記憶のゆくえ」をテーマにした18の作品が1辺4mほどの箱(キューブ)の中に展示してあった。

いずれも興味深く見ることができ有意義な時間となった。

鑑賞しながら様々の思いが脳裏をかすめた。

その一つはどうして箱の中に展示するのだろうかという疑問だ。

作品を通常の社会空間に置くとこの空間の持っている要素と作品が融合し独特の世界が生まれる。

作品が世界を規定し、世界は作品に存在する場所と意味をあたえる。

作品は世界を変える可能性を有するということでもあるから、社会的存在と言うことができるだろう。

その時重要なのは、作品と空間の距離だと思う。

前に古墳展のときにも述べたように連句の前句と付け句の関係と同様、距離感が余情を醸し出す。

しかし、それは作家の主体性が薄れるということでもあり、作品の自立性、言い換えれば尊厳を損なうことにもなるのかもしれない。

一方で箱の中に展示するとなれば、空間全体を作家が支配することができる。

空間を含めて作品を制作できるということだ。

そうなれば作品の独立性が保証され、他との距離は無意味なものとなる。

つまり箱の中に展示するということは、作品主義というか作品をより大切に、より純粋にするということだろうか。

社会との関係は鑑賞者を通しての1点だけとなる。

作品と社会の関係が希薄となったとき、アートの意義を問い直すことが必要となってくるかもしれない。

かつて青少年の文化活動を育成する仕事に携わっていたころ、演劇や音楽、美術展などの発表の場を繁華街の通りにもっていったことがある。

当時各専門の指導者からは、反響板がないとか、照明が不十分とか、十分鑑賞できないとか不十分な環境で発表させることにかなりの反発があった。

それでもアッピール性の高さ、社会の一つのピースとしての文化活動の意義等に鑑み実施に踏み切ったが、開催後にはかなりの支持を得たとこを覚えている。

あれから30年ほどが経ち改めて作品の社会性と純粋性を考える機会をえたように思う。

 

美術館を後にして土屋先生の個展を見に行った。

まるでおもちゃ箱をひっくり返したような楽しさがそこにあった。

コロナウイルスの不安な中にあってこそこんな展覧会が嬉しかった。

この不安の中で祈りをこめて制作されたという十字架を彷彿させる作品があった。

先生の慈愛に満ちた顔が浮かんだ。

その2階では、よしだ智恵さんが個展を開いていた。

エネルギーの溢れる作品。

これからの活躍が楽しみだ。

 

 

2020.06.29 Monday | 22:39 | comments(0) | - | - |